ピッツァ、化学、癌。知っておくべきこと。

Column by Francesco Margheriti — 4年 前

多環芳香族炭化水素(PAH)、アクリルアミド、メイラード反応- 化学や生物学といったアカデミックな世界で使われていたこれらの用語が、昨今ピッツァ業界でも見受けられるようになった。焦げたピッツァや黒い縁(コルニチョーネ)、ローストフラワーに関する話題から、極端な場合は腫瘍や癌の類へ言及も、少なからず耳にする。

pizza bruciata

ピッツァは、イタリア各地で、各々の味覚や食習慣に則ってつくられている。その結果、ナポリ(いわゆるヴェラーチェ)、シチリア、ローマタイプをはじめ、ジェノヴァタイプのフォカッチャ他、実に豊かなバラエティを誇ることは、周知の事実である。その各々が、独自の仕込みや焼成方法を持つわけだが、中には黒く焦げ、炭化した部分を特徴とするものもある。まさにこのピッツァの縁や、その表面に点在する暗褐色の部分が、医師や栄養士、国際保健研究機関等の注目を集めているのである。

この中からまず、メイラード反応を取り上げる。難解な化学の教科書的にならないよう心掛け、できるだけシンプルな解説に努めるので、お付き合い願いたい。
 基本的にメイラード反応は、加熱した食品に独特の風味を与え、もともと存在しなかった物質を生み出すもので、いわば「魔法の杖」である。
 この変質/変態は、どのようにして起こるのだろうか。正直なところ、これを完全に理解することは難しいし、説明するとなればなおさらである。何しろ、ある特定の食材が高温と組み合わされるとこの反応が起こる理由は、まだ100%解明されていないのである。
 キッチンで完璧なメイラード反応を起こすには、糖とタンパク質の結合が必須となる。この2つが揃わなければ、ローストした肉やベーカリー製品がまとうあの味わい深い、パリッとした焼き目やクラストは望めない。
 あの暗褐色の焦げ目と独特の風味。ピッツァをはじめ、先に挙げた食品がまとう特徴的な色合い。これら全てを生み出す根源であるメイラード反応は、焼成温度、食材間の結合、熱源に近い場所での曝露時間等、様々な要因が絡み合って初めて起こるものである。いくつかの段階からなるこの反応自体は、人体に有害な物質を生産することはない。しかし、反応が長時間にわたった場合、潜在的危険性の高い物質が生まれてしまう結果となる。これは、過度な高温または熱源への曝露時間の超過に起因する。
 イタリア中を論争に巻き込んだ、かの有名な某国営放送の報道番組の後、ピッツァと特に関連づけられる「危険な」物質として一躍有名になったのが、PAHとアクリルアミドである1,2。
  このうちPAHは、木や石炭等特定の物質が燃焼することによって発生する。過度な高温が持続した際放出されるが、これは接触または拡散作用によって周辺の大気や食品の表面に到達する。なお、タバコの煙にもこれが含まれている。

reazione maillard

この物質、正確にはその発癌能力と突然変異誘発能力の研究は、ロンドンの煙突掃除夫たちの間で癌が爆発的に蔓延した18世紀末に始まった。以来、長い年月と研究の結果、聞いた端から忘れてしまいそうな難解な名前の様々な物質 ―ジベンゾアントラセン、ベンゾ(a)ピレン、ベンゾ(b)フルオランテン等々― からなる、その正体が徐々に明らかになる中で、各物質間の絶対的な共通点が突き止められた。それは、いずれも熱と高温を介して形成されるという特性であった。
 この発見から、食品、特に水分除去と高温を必然的に伴う焼成を経て完成するそれに、上記の難しい名前の各物質が存在することが判明した。ただし、もうお気付きだろうか。「水分除去と高温を必然的に伴う焼成」というのは、先に挙げた、メイラード反応を起こす、あのおいしい焼き目をつけるための条件と一致してしまうのである。
 18世紀末に推定されたとおり、この生成物こそが、その化学構造をもって遺伝子に変異をもたらす、高い発癌性を備えていたのである。

一方のアクリルアミドも、その重要性あるいは危険性において、前者に引けを取らない。この物質は、デンプン質、つまりデンプンを多く含む食品 ―パン及びその派生物、ジャガイモ、小麦粉を原料とするあらゆる食材― が加熱された際、自然に発生する。デンプンが内包する糖とアミノ酸の一種であるアスパラギンの両者が、メイラード反応を起こした結果生じる化合物である3。
 経口摂取されたアクリルアミドは、複数の消化器官で代謝され、代謝物質となる。ラット他齧歯科の動物実験では、その代謝物質の一つであるグリシドアミドは、乳腺、精巣、甲状腺をはじめとする様々な組織で、突然変異や癌を発症させるという結果が報告されている。
 ただし人体実験では、食品を介したアクリルアミド曝露(摂取)と上記のような発症における関連性は乏しいという結論に達している。欧州食品安全機関(EFSA)は、この人体実験から引き出された結論の有効性の裏付けに向けた、さらなる研究の必要性を訴えている。
 アクリルアミドとその代謝物質であるグリシドアミドは、いずれも遺伝毒性と発癌性を有する。

efsa

 遺伝毒性物質は、ほんの僅かな曝露量でもDNAを傷つけ、癌を発生しうるという前提を鑑み、EFSAは、食品中のアクリルアミドの耐容一日摂取量(TDI)設定は不可能であるとした。その一方で、アクリルアミドが遺伝子を損傷しうる目安として、10%ベンチマーク容量信頼下限値(BMDL10。毒性発現頻度に対する信頼上限曲線における容量信頼下限値BMDにおける、発現頻度 10%時の安全信頼下限)を算出したが、これを可能な限り下回る量の摂取を呼び掛けている。
 このBMDL10から、曝露マージン(MOE)が引き出せる。これは、各国の保健団体が警告を出す際のレベルの目安となるが、危険度を数値化したものではない。10,000前後またはこれを超える場合、注意に越したことはないが、健康に対する悪影響は低い微量の曝露とされている。アクリルアミドと癌の相関性に関するMOEは、平均的曝露量の成人の425から、これを大量に摂取する子供の50までと、幅がある。EFSAは、現時点の食品による曝露量は懸念に値するものの、食品によるそれのレベルだけを取り上げた場合、癌を直接的にもたらすものではないとしている4。
 つまり、ピッツァを食べると、癌になるのだろうか?答えは勿論、No。
 では、ピッツァを食べると、癌を発生させる危険性の高い物質を摂取するのだろうか?答えは、いう間でもなく、Yesである。

ところで。「毒薬同源」「薬も過ぎれば毒となる」という言い回しを、耳にしたことはないだろうか。
 前述の様々な研究や試験結果のお陰で、今日我々は、ある特定の物質が、様々な要因と出会った際、癌の発生をもたらしうる一連の化学反応を起こすために必要な量を知ることができる。
 ピッツァを食べること。それは、危険ではない。週に2回食べても、この定義は変わらない。むしろ、街中で渋滞を縫ってランニングしたり、1日1箱以下のタバコを吸ったり、車の排気ガスを吸ったり、焚火の近くで煙を吸い込むよりも、安全だと言える。前述の各物質は、色々な化学反応と同様、我々の生活環境や、我々が愛してやまない物事の一部である。それ自体は、危険ではない。
 正統な根拠がない行き過ぎた警告は、杞憂に過ぎない。
 もちろん、口にするものに気を配ることは、大いに結構である。食品の選択や、焼成や保存への配慮、食材の多様化等は、積極的に心がけたい。しかし、不要な心配は、百害あって一利なし。
 ピッツァの焦げ目は、おいしく、香り高い、味わって楽しみ、愛すべき存在。つまり、ピッツァそのものなのである。
 ピッツァの扱い、焦げ目をいかに最小限に抑えるか、どんな薪を選ぶか、窯や炉床をいかに清潔に整えるかは、我らがピッツァ職人が熟知しつくしてくれていよう5。
 真っ白なピッツァなど、あり得ない。あるがままのピッツァを、心ゆくまで楽しむが勝ちである。 

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